倉庫へ乱雑に放り込んでいたバットを取ってきた霊夢は、約一八メートル離れている早苗と正対していた。
地面にホームベースとファールラインを描きこんだだけの適当な野球場で、霊夢は打席、早苗はマウンド、それぞれ所定の位置についている。
霊夢はバットを肩に担ぎ、さっさと終わらせたいのか苛々しながら踵で地面を叩いていた。
一方の早苗は余裕の表情を浮かべ、左手に嵌めたグローブでボールを弄んでいる。
「で、野球はいいけどどういう勝負をするのよ?」
霊夢が投げやりに尋ねると、早苗はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりにグローブを突きつけてきた。
「ずばり、ONEOUTS勝負です」
「わんなうつぅ?」
ONEOUTS――それは打者と投手、一対一で行うシンプルな勝負である。勝負は一打席、外野までボールが飛べば打者の勝ち、それ以外は投手の勝ちというゲームだ。
早苗から説明を受け、霊夢はふーん、と興味なさ気に呟く。
「それじゃあ、暑いしさっさと始めましょうか」
「いいんですか? 一打席、それも初対戦だと投手の方が圧倒的に有利なんですよ」
「別にいいわよ。何か雲行きも怪しいし。それに私が負けるわけないでしょう」
そう言って霊夢はバットを構える。
神主がおおぬさ大幣を振る動作のように、自分の正面にバットを構える神主打法、暫く野球をしてないにもかかわらず、そのフォームは以前と全く変わりがなかった。
「後悔しても知りませんよ」
霊夢の態度に早苗は肩を竦めたが、すぐに気を取り直して投球動作を開始する。
両腕を真上に抱えないノーワインドから、左足を上げて上半身を捻る。そこから捻った体を戻しながら右腕を振り上げた。
流れるようなオーバースローで早苗の右手から白球が放たれる。
イン内角ハイ高めを強襲するストレート。それを霊夢は体を小さく折りたたんで、いとも簡単に弾き返した。
引っ張られた打球は地面に描かれたラインの僅か左でバウンドする。惜しくもファールであった。どうやら少しボール気味だったらしい。
「意気込んだ割には大したことないわね」
霊夢はそう言いながらマウンドを見るが、早苗は気にした様子もなく次のボールを用意していた。
普通あんな鋭い打球を弾き返されたら投手は尻込みするものである。にもかかわらず早苗はにやにやと面白そうに笑っていた。
霊夢は訝しみながらも気を取り直して構えなおした。すると早苗がボールの感触を確かめながら何事か呟きだす。
「霊夢、あなたは私に負けるわけがないと言いましたね」
「言ったけど、それがどうしたの?」
質問をしながら早苗はモーションを開始する。霊夢も答えつつ次の球に集中する。
「だったら、この球を打ってみて下さい!!」
叫びと同時に二球目が放たれる。さっきと同じ球速で今度はストライクゾーンに入ってきた。しかもコースは内角のやや甘め。
(これはいける!)
確信し霊夢はバットを振り抜いた。しかし、
「なっ!?」
骨が折れたような破砕音、両手から伝わる鈍い感触、そして目の前にポトリと落ちるバットだった物。
日が照っていた辺りに影が差したところで、霊夢はようやく自分のバットが折れたことに気付いた。
そして事実を確かめるように、折れた手元のグリップ、地面に落ちたバットのヘッド、そして目の前にいる早苗に目を向けていく。
霊夢が打ったボールは早苗の足元で止まっていた。つまり、
「私が……負けた?」
「はい。私が勝ちました」
小さな呟きに早苗は等式の答えを返す。霊夢は今の投球を指でなぞる様に思い返す。
途中までは確かに平凡な直球であった。しかし、インパクト打撃の直前にそれまで真っ直ぐに進んできたボールが、鋭い角度で霊夢の方へ曲がってきたのである。
バットは急に止まれない、結果ボールを根元で強打したバットは無残に折れてしまった。
早苗が投げたボールは、シュートと呼ばれる投手の利き腕と同じ方向へ曲がる変化球である。
ゴロを打たせるのに向いていて、変化量はそれほどでもない。にもかかわらず、彼女のシュートは恐ろしいまでの鋭い変化を見せた。
それこそキレのいいスライダー級である。言うなれば、そう。
「まるでかみそり剃刀……」
「剃刀、少し違いますね」
早苗は見下すような笑みを浮かべ両腕を真横に上げていく。
「私は神に仕えるもの。神に反るなどありえない。私は『現人神』、神に成る存在」
徐々に持ち上げられる腕は、やがて頭上へと上り、まるで天に掴もうとする姿勢になる。
「そう、つまりは神成り。私のシュートはカミナリシュートなのです!」
伸ばされた腕の先で雷雲が轟いた。まるで勝者の早苗を祝福するファンファーレのようである。やがてポツポツと雨が降り出し、直ぐに土砂降りとなった。
地面に描かれた線には水が流れ込み川となる。そんな中で、二人の巫女は雨に打たれ、ずぶ濡れになりながら向き合っていた。
いつまでそうしていただろうか? ようやく早苗が霊夢に背を向ける。そのまま飛び立とうとしたところで、不意に霊夢の方へ顔を向けた。
「悔しかったら何時でも来て下さい。守矢神社は全てを受け入れますよ」
それだけ告げると早苗は博麗神社から飛び去っていった。残された霊夢はその方向を呆然と見つめ続ける。空には黒い雲が渦巻いていた。
その光景は今の霊夢の心情を表しているようである。
この雨が、心の靄を洗い流してくれるよう、霊夢はただ只管に雨に打たれ続けた。
URL